防弾少年団をユダヤ人団体へ通報するという差別

 ナチスドイツが滅んでから七十年ちょっと。いまだ世にナチに関する種々様々の話題は尽きない。話題にも種類があり、純粋にナチに関する新事実がわかったというものもあればナチズムが未だこの世界で猛威を奮っているというたぐいのもの、他人をナチに例えての批判、ナチ要人、とくにヒトラーに関するくだらないゴシップなど、ともかく多種多様なものがある。

 そんなナチに関する話題の一つに、「ナチを批判的に取り扱わなかった有名人にネット上、とくにツイッター上で批判が集中する」というのがある。二年ほど前に、欅坂46の被っていた帽子が親衛隊制帽風として批判された件や、高須克弥医師が真正面からナチに肯定的な評価を下して案の定批判されまくっていたあの類の話題である。だいたいはネットで大きく広がっているところからして、炎上、と言ってもいいだろう。

 さて、この系統の話題に、この度晴れて新しい仲間が加わった。防弾少年団というグループである。筆者の把握する限りの経緯としては、数日前まで原爆Tシャツを着てたとのかどで炎上していたが、どうやら誰かが野戦帽っぽい迷彩帽に親衛隊鷲章と髑髏があしらわれた帽子を被ったメンバーの写真や、赤地白抜きの丸に黒のシンボルマークというデザインの旗を掲げたライブ映像を発掘した事によるものらしい。

 で、その結果が以下の記事のとおり。

www3.nhk.or.jp

 記事によれば、「「防弾少年団」のメンバーが、かつて、ナチス・ドイツの記章をあしらった帽子をかぶっていたなどとして、アメリカのユダヤ系人権団体がグループを非難するとともに、謝罪を求め」た、とある。完全にいつものパターンである。いつものパターンというのは、ネット上、特にツイッター上でバトルが勃発して、どっかの誰かがサイモンヴィーゼンタールセンターに通報、センターが当然問題視して声明を発表、ニュースが出て本格的な問題に、というやつだ。

 なお、この手の話題では、ナチ的の基準が妥当か否か、という視点も出てきがちである。が、防弾少年団の場合はそのままナチの意匠、とくにハーケンクロイツつきの親衛隊鷲章を使用していたので完全にナチ的と判断できよう。欅坂のときはすごく微妙だとは思ったが、サイモンヴィーゼンタールセンターがアウトって言ってるならアウトだった、と判断するものとする。高須克弥氏のナチ賞賛については議論の余地もないので割愛。

 さて、ここからが本題である。つまり筆者が問題としたいのは、完全にアウトなナチの使い方をしている何者かが居た時の対応についてなのだ。

 ここに上げた三例に共通するのは、前述の通り最終的にサイモンヴィーゼンタールセンターが出てきて善悪の決着がついている、というところだ。出てきて、というのは正確ではない。なぜならどの例にしても、必ず通報者がいるからである。通報者はこの三例においては、ナチを肯定的に取り上げた人物を批判している側の人物である。ナチを肯定的に使っている人物なり団体なりがいて、批判を行うとともにナチズムへの抗議を行う著名なユダヤ人団体に対して通報を行う、というのは一見するにそう間違った行為とは見えないだろう。

 だが、考えてみてほしいのが、通報に際して本当にそこにはナチズムへの抗議、反ナチスのための志があったのか否か、ということである。特に今回、防弾少年団の件である。今回、防弾少年団の通報を行った人々は、前段の原爆Tシャツへの抗議からの流れとして過去の写真を掘り起こし、攻撃手段として通報を行っていたのではないか。過去の二件、高須克弥氏のときには元々高須氏と政治スタンスが合わなかった人々が、欅坂のときには元々秋元プロデュースのアイドルだとか欅坂を嫌っていた人々がそれを行ったのではないか。無論、心の底から義憤に駆られた人というのも居るだろうが、全員が全員そうであったとも思い難い。それぞれの例で、イスラエル大使館だのサイモン・ヴィーゼンタールセンターだののアカウントに画像だけを送りつけているアカウントを検索してもらえば分かってもらえるだろうが、気に食わない相手への攻撃のために、あるいはもっとひどい例を考えれば、気に食わない相手の擁護者への攻撃のためにサイモン・ヴィーゼンタールセンターへの通報を行ったという例があったのではないだろうか?

 気に食わない相手への攻撃のためにサイモン・ヴィーゼンタールセンターへ通報を行っているとすれば、それははっきり言ってサイモンヴィーゼンタールセンターを、反ユダヤ主義やナチズムに抗議を行うという同センターのあり方を侮辱するものであろう。そして、それ以上に、ユダヤ人団体やユダヤ人というものを(通報者たちはイスラエル大使館に対しても「通報」を行っていることを忘れてはならない!)ただ他人への攻撃手段として利用できる人々とだけみなし、敵対者たちに対してはユダヤ人というものを「小うるさい面倒な奴ら」と印象づけることにすらなる恐れすらある。はっきり言って、そのような態度はユダヤ人に対して差別的であるとすら言えよう。

 無論、ナチズムを現代の西欧的価値観は許すことはなく、ナチス的意匠はナチズムを支えるもの/ナチズムのシンボルとして排除されるべきである。だが、ナチズムへの批判を行うならばまずは同じ社会、同じ文化圏の人間が行い、奇しくもナチス的意匠を使ってしまった、ナチスを肯定的に捉えてしまったという人物がいたならば、同じ社会から上がってきた批判を受けた時点ですみやかに謝罪を行って、そこで終わらせる。それが、あるべき健全な社会のあり方というものではないだろうか。